日本人と小麦
2020年12月24日

小麦、日本へ
弥生時代になると中国大陸からさまざまな文明と共に小麦も伝来しました。平安時代には中国から小麦粉や米粉を使った食品がもたらされ「唐菓子」と呼ばれたそれらのなかには、そうめんやうどんの元祖が含まれていました。
中国社会と密接な関係を保った仏教界では粉食が研究され、室町時代には、そうめんやうどんは僧侶や貴族にとって珍重される高級品でした。
中国社会と密接な関係を保った仏教界では粉食が研究され、室町時代には、そうめんやうどんは僧侶や貴族にとって珍重される高級品でした。

キリスト教とともに渡来
室町時代後期から、ポルトガルなどの宣教師たちと一緒に渡来したのが、カステラやビスケットです。南蛮菓子ともいわれ、幕府の禁止令にも関わらず、国内で引き続き作られ続けました。

パン食、文明開化
日本のパン食は、明治の文明開化の足音とともに静かに始まりました。和装に洋装を取り入れるように、伝統食品にも「洋」の要素を取り入れ日本独自のパンが考案されました。
海外の文化を貪欲に吸収し、自国の文化と融合させることが得意な日本人は、パンも格好の素材として工夫を重ねました。その先駆けが「あんパン」です。
明治後期には「ジャムパン」「クリームパン」も発明され、日本の3大菓子パンともいえるラインナップがそろいました。
その後も日本人は「カレーパン」や「かつサンド」など日本独自のパン食文化を開花させました。
「朝食にはパン」が普通になるのは戦後の昭和、アメリカのライフスタイルが浸透し、アメリカ流の白い「食パン」が流行してからのことになります。
海外の文化を貪欲に吸収し、自国の文化と融合させることが得意な日本人は、パンも格好の素材として工夫を重ねました。その先駆けが「あんパン」です。
明治後期には「ジャムパン」「クリームパン」も発明され、日本の3大菓子パンともいえるラインナップがそろいました。
その後も日本人は「カレーパン」や「かつサンド」など日本独自のパン食文化を開花させました。
「朝食にはパン」が普通になるのは戦後の昭和、アメリカのライフスタイルが浸透し、アメリカ流の白い「食パン」が流行してからのことになります。

麺王国になった日本
日本の麺文化の歩みは意外に遅く、全国的には戦後急速に進化・普及しました。
古代からあったうどんやそうめんは、長らく時の有力者のものであったり、郷土料理、地域の名物として知られる程度でした。
庶民が力をつけた江戸時代にようやく麺食が大衆化し、江戸ではそばが流行し、そば職人が現れます。
そばは関東地方では盛んに栽培され、独自のそば文化を形成します。対する西日本では小麦粉からつくられるうどんが優勢で、「東のそば、西のうどん」という文化は今日になお影響を残しています。
現代の日本は、うどん・そばをはじめ、スパゲティ、ラーメンに至るまで新たな味と食べ方を世界に発信する、文字通りの麺王国となりました。
古代からあったうどんやそうめんは、長らく時の有力者のものであったり、郷土料理、地域の名物として知られる程度でした。
庶民が力をつけた江戸時代にようやく麺食が大衆化し、江戸ではそばが流行し、そば職人が現れます。
そばは関東地方では盛んに栽培され、独自のそば文化を形成します。対する西日本では小麦粉からつくられるうどんが優勢で、「東のそば、西のうどん」という文化は今日になお影響を残しています。
現代の日本は、うどん・そばをはじめ、スパゲティ、ラーメンに至るまで新たな味と食べ方を世界に発信する、文字通りの麺王国となりました。